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今日の一曲:ave;new feat.あべにゅうぷろじぇくと - ラブリー☆えんじぇる!!

タイトルからしてすでに熱量がすごい。いわゆる電波ソングという、非オタクには聞かせられないというだけでくくられている作品群の中でも、高音アニメ声・コールめいた合いの手・キラキラしたシンセやSEといった特徴が強い曲だ。

この曲はコードもすごい。Aメロのなかでも短三度で上がったりするブロックごとの転調、そして定番のコード進行の多用。すでにグイグイくるサウンドなのに、さらにそれを補強している。

そして、メロディもまた気合い入れて作ったなあという感じがする。Aメロのなかにもういろいろな要素がある。テトラコルド的に四度内で動くペンタトニックの音使い。五度で跳躍して、長二度で連結する(ここまでも五音音階のなかにとどまっている)。そしてさらにもう一度五度で跳躍して、短二度を含む長音階上の順次下降音型の中に、さっき出てきた長二度の連結のかたちが出て、これがここでの一種の偽終止になっている。二回目では、長音階上の順次下降音型がペンタトニックスケール上の上昇音型に置き換えられている。

全体的に、「カワイイ」「萌え」といったものを音楽で表現するうえでの要素がふんだんに使われている。そしてこれらは今でもまったく色あせていない。

今日の一曲:BEGIN - 涙そうそう

自分が好きな曲で、チャートに食い込んでいて、かつほぼ全編ペンタトニックで作られていて、それでいてド和風でないが、どこかノスタルジック。いろいろと奇跡的なバランスだ。

ペンタが崩れているところはふたつ。「よみがえる日は 涙そうそう」の「日は」と「そうそう」。つまり終止する部分でもあり、またとても印象的なところでもある。逆に、どこまでもペンタを貫こうとするとどこか終止に違和感が出る場合が多いということになるかもしれない。もっと言うなら、テトラコルドの枠内で跳躍するより、その間にあるダイアトニックの音をはさんだりするほうが自然になるかもしれない。

ペンタのスムーズさはともすれば単調さに響くのかもしれない。そこをコードとの共同作業で、コードに対するテンションにしてみたり、スケールのなかにダイアトニックを入れたりすることで色彩感が出る印象がある。

日本の音楽における沖縄というのもなかなか考えさせられるテーマだ。「本土」と離れているがために、違う歴史をたどり、文化や経済環境が異なる土地となった。そのなかで、芸能の存在感は大きくなり、本土からいろいろな属性を仮託される対象になってしまった。

あえてBEGINとしておいたけれども、彼らはそんな沖縄出身ミュージシャンのなかでも、自分たちの伝統に紐づきながらもチャートとのつながりを保てる稀有な存在だと思う(とはいえ、この曲以外まだあんまりなじめていない……)。

一週間のまとめ:2017年2月15日から20日まで

今日の一曲:Maurice Ravel - Pavane pour une infante défunte - 小川メモ
今日の一曲:Ride - Vapour Trail - 小川メモ
今日の一曲:荒井由実 - ひこうき雲 - 小川メモ
今日の一曲:Tomasz Bednarczyk - The Sketch - 小川メモ

思ってたより忙しくなった。

しかしコード進行については思ったより書くことがなかったのでちょうどいい。それは今まであげてきたアーティストでだいたいいいというのもある。だが、それ以上に最近意識することがある。

「進行」であるだけに、なめらかに(ツーファイブもしくは順次で)つながっていくようにすること。その上で個性を出すには、定番のコード進行に対して、いわばコードにテンションを加えるような意識をもつべきだということ。あくまでひとつやふたつずらすだけにしておいて、本質的な動きはありていのものにしておくこと。コード進行に呑まれるのではなく、メロディに色づけをしていくほうが往々にしてよいこと。

もっとも理論化が進んでいる要素、裏返せばもっとも制約が多い要素。そのなかでガツンガツンともがくよりは、ふらふらしがちなメロディたちを繋ぎ止めておくために使う気持ちでよかったのだ。

今日の一曲:Tomasz Bednarczyk - The Sketch

たしかポーランド人だった。何度書いても言っても名前を覚えきれない。

構成要素は単純だ。「四度堆積と平行移動を使ったピアノフレーズにグリッチノイズ、フィールドレコーディング素材を入れ込んで曲を作れ」と言われたら、まあこんな感じになるだろう。料理の腕というより、素材の味の問題だ。

アンビエントは心地よいけれど、冒険とは真逆の世界なので創意工夫をする余地がない印象がある。日常生活に溢れる音から、耳を遠ざける音楽。それはそれでサウンドトラックだったりには使いやすいだろうけど、活動のメインフィールドに置くにはなかなかつらそうだ。せめて、その音素材の選び方に独自性を見いだしたり、プラスアルファの個性をのせていかなければならないだろう。

 

今日の一曲:荒井由実 - ひこうき雲

サビのドミナントマイナーに乗る9th、この世界観が日本のポップスに入った記念碑的な一曲。どうもProcol Harumというかなりくっきりしたレファレンスがあったようだけど、メロディの邦楽的強さと歌詞のよさで日本人にとってはイーブンだ。

ユーミンは「きっと言える」など、コード進行のアイデア、それにも関わらずポップなメロディ、連動する歌詞というリズム以外最強感がある。まだまだ聞かなくては。

今日の一曲:Ride - Vapour Trail

ギターは開放弦をどう使うかで決まる楽器なのだと痛感する曲であり、最高のコード進行ができればもう曲になることが実証されてしまう曲でもある。

コードリフとでも言おうか、明確なメロディに導かれるでもなく、リズムが特徴的なわけでもない、「ギターじゃかじゃか」の魔力。他の楽器には出せないアタック感と倍音の産物。曖昧模糊としたシューゲイザーというジャンルはそれにとりつかれた音楽かもしれない(案外ドラムも重要な気もするが)。

 

今日の一曲:Maurice Ravel - Pavane pour une infante défunte

こういうペースでも続けるのが大事。

コード進行という目で解析したわけではないけれど、とにかく和声がきれいだ。というかメロディもきれいだ。まだ「サロン音楽」が成立できていた幸せな時代の残り香と言えるかもしれない。

ラヴェルの音楽からはどうも美しさのウラにギリギリと締め上げている何かを感じてしまう。ダンディな彼ならではの自律、自問、そういうエネルギーかもしれない。だからこそ、この手癖で力を抜いて書かれた曲からは、自然なラヴェル、普段着のラヴェルが見える。そういう妄想をしたくなる。

どうもドビュッシーラヴェル、サティという三人をくくってしまいがちだ。それが正当かはともかく、一種正統的な語り方でもある。というかサティが音楽史に登場するのがこのふたりもしくは六人組の関わりだからという面は強いかもしれない。

その三人の音楽の流れは、ドビュッシーが(まだつかみきれていないが)ある種ロマン派の延長での擬古へたどり着き、サティがつねにその時代時代の前衛を切り開いていったのに対し、ラヴェルはかなり徹底して自分の美学をもっていたように思う。それは一定程度ジャズ、そしてポップの一部と共通する姿勢かもしれない。