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今日の一曲:シャドウハーツ - 平原「球-qu-」

Shadow Hearts 1 OST - 06 - Sphere qu - YouTube

ワールドミュージックの視点からの俯瞰

・スケッチ的なBGM

 

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 あらかじめのお断りとして、はじめこの曲に関係なさそうな話から入る。

 日本的なものとの断絶を感じた自分は、小泉文夫の影響もありほかの民族音楽との比較から日本らしさをつかもうとこれまた果てしない試みをすることとなった。しかしこれはいくつもの音の宇宙を渡る旅で、そのどれも没入して理解することはできなかった。ただ上っ面の印象論として、いくつかの民族の音について書いてみる。

 日本国内、つまりアイヌと沖縄についてはしょっぱなからコメントが難しい。母音の響きはほぼ一緒ながら、言語だったり音程のとり方だったり音色だったりが違って、かなり印象が変わる。アイヌについては文化侵略の問題、沖縄については00年前後の「島唄」現象や生活と音楽の関係など、ここにはさまざまなトピックがある。

 日本と比較した際避けては通れないのが漢字文化圏=韓中越の音だ。そしてやはり韓国は紙をいれて雑音が混じるようにした笛(名前失念)など似ているところもありつつ、三拍子優位な点や閉音節の多用など違うところも多い。中国はひとくくりにするより北方騎馬民族と南方農耕民族の混交というか、現代の都市でいうと少なくとも北京と上海は違うよね、くらいの分け方は必要だ。大雑把にいうと北は弦楽器、南は管楽器が強いような気がした。日本はあえていうなら南のほうに近い気がする。そしてベトナムはこの程度の感想も言えない。

 原点を日本に置くと、おのずと大陸ユーラシアに目が向く。やはり音楽は言語、気候風土に影響されるという点で同緯度帯かつ交流しやすい距離にある地域と関連しあう。インド(ここも少なくとも南北の二分の視点が必要)の豊饒なリズムとソノリティ、中近東のめまぐるしいマカームももちろんだが、特筆したいのがモンゴル、トルコとブルガリアだ。

 モンゴルはよくホーミーが話題になる。ああいう喉遊びはそれこそアイヌイヌイット、ネイティブアメリカンなど北方モンゴロイドに共通する音だけれども、日本との関連で行くとオルティンドーと追分の類似に注目したい。そして、そこで胡弓と尺八とが同じ役割を果たしていることにも歴史的意味合いがある。

 トルコの音楽には3つの要素がある。ルーツとしての「遊牧民(北中国との関連)」、文化としての「中近東(イスラーム)」、定住地としての「地中海(ギリシャ)」。ここまで見事にすべての面が出ていたのは驚きだった。

 ブルガリアはあのフィリップ・クーテフという人によって、そのハーモニーの一部が非常に有名になった。急に本題のほうにもどると、シャドウハーツのOPの「ICARO」がまさにブルガリアンヴォイスだ。ただ、この民族はそのおそろしいナチュラル変拍子なども見過ごしてはいけないし、イスラームから影響された一部の旋法などクーテフが切り捨てた要素の多さ、そこにある豊かさも忘れたくはない。

 それぞれの民族にそれぞれの歌があり、それはあらゆる生活の場面においてそれぞれの音が鳴っているので、ほんとうにある民族音楽を追い求めようとするならばその音が鳴るその暮らしをしなければならない。

 ここで正直な思いをいう。木と畳と障子の部屋の中で、あるいは木と土と草のにおいのなかで鳴っていた「日本の音」のなかにもはや自分はいない。生まれたときから鉄筋コンクリートとガラスのなかで、階下に響かないよう足音を殺し、アスファルトと石に反響する音のなかで育ったのが自分だ。過去の音は過去の音でしかなく、未来の音はまだない音だ。いまここにある音を鳴らすべきじゃないか?

 その一方で、それはあらゆる民族音楽が抱えている近代との摩擦の問題でもあることを見逃したくはない。そのなかで、日本列島に住んでいた人間の音を少しでも引き継ごうとする試みは、いまここに住んでいる人間の務めなんじゃないか?という、お前どっから物言うてんねんみたいな思いも正直なところだ。

 さて、となると民族音楽がほんとうによく響く場所としてはまさにその音が鳴っていたような風景があげられる。それを再現し得るのが歴史ファンタジー系のRPGだ。よく知らん大作曲家の音楽史上評価が高い曲より、思い入れのあるゲームのエモいシーンで鳴ってた(プロの目から見るとよくてそこそこな)オーケストラ曲のほうが名曲・神曲になる。それはそれを聞くこちらの心構えと集中力の問題でもあり、それを準備する装置としてゲームは有効なんじゃないか。

 ところがゲームにおいてもなかなか純邦楽要素は活かされない。そこには少なくとも楽器においてはオーケストラ編成=西洋的要素を基本としようとした近代の姿勢があるし、たとえば大河ドラマや時代劇でもそういったものは崩されなかったように思う。鬼武者とか信長の野望とかやったにはやったけれどとくに音楽覚えてないし。そうなると、非西洋かつ非日本が舞台でないとド直球オーケストラが使われてしまうことになる。

 ただ、案外と西洋でも日本でもない場所でのファンタジーというのは少ない。そんなこんなで、ほんとうは対象年齢外だったにも関わらず楽しく遊んだ思い出のゲームであり、かつ前半は中国が舞台のこの「名作」、シャドウハーツの重要性に思い至ったのだ。とくに同時期に遊んだFFXはわりとメロディ主体だったのに対し、この「平原『球-qu-』」だったりバトルBGMだったり、ループ主体の曲が多くて新鮮だった。民族音楽っぽいというとさっき言ったようにOPがブルガリアンヴォイスだったり、イベントシーンで二胡独奏があったり、町のBGMもすてきにチャイナだったりと楽しい。

 けっして作曲家諸氏は中国音楽の専門家なわけではないと思うけれど、うまくその印象的な音色やフレーズを活かし、まさに旅先の絵葉書めいたスケッチとして機能している。こういうのでじゅうぶんなんですよね。