今日の一曲:スチャダラパー - ヒマの過ごし方

ふつうにヒップホップの話をする。ヒップホップに耳をだんだん馴染ませていくなかで、これもまた重要なきっかけになった一曲だ。ゆるさと知性の同居するライムももちろんだけれど、むしろトラックに感動した。

元ネタはTony Williams' Life TimeのYou Make It Easyらしい。知らない曲だったけれどこれもまあGoogle検索のなせる業。ところが、言っちゃ悪いがこの元ネタを聞いてもあまりいいと思えなかった(もちろんうまいし素敵なサウンドなのだけれど)。この知らん元ネタとの差から、サンプリングの意味の一端に触れた気がする。

つまりは再解釈なのだ。原曲と自分の重なり合うところを切り取りつなげ、新しい意味を与える。それを直接的に、もとの音源を編集して行う。こういうことなのだ。

とすると、サンプリングというのはややラディカルだが、しかし人間の文化活動一般となんら変わらない行為ということになる。あるスタイルを身につけ再現するなかに、にじみ出る自分(近代的自我にとどまらない、それまでの生活環境のなかで保持してきたものすべて)。その本質は洋の東西を問わず、一定年数持続する文化すべてに共通するのではないか。

問題は、レコード(記録された音源)による聴衆の増加だ。そうなると、じぶんの保持している文化の伝播はコントロールできない。地球の裏側でじぶんの文化が穏当に受け継いでいられればまだいい。しかしVaporwaveのような直接的かつ破壊的な編集をされる可能性もある。そして、そうやって育ってきた後継世代は、まだ自分自身が現役のあいだに、同じ市場に参入してくるかもしれない。

つまりサンプリングについては、行為のなかに含まれる「商業ルートに乗った音源の無断編集」という点が、倫理的にも実際的にも大きい話なのだ。

……たぶんどっかにこういう記事はまとまっているんだろうし、なにかの受け売りかもしれないけれど、つらつらと頭のなかに浮かんだことを書いておいた。