『リズと青い鳥』私見:のぞみぞは結婚すべきでないし青い鳥は妄想である

リズと青い鳥私見:のぞみぞは結婚すべきでないし青い鳥は妄想である

 

ネタバレ注意。というのも馬鹿らしいぐらいに公開から経ったはずなので、思いをまとめる。

 

私の主張は、
・希美とみぞれは大学以後疎遠になってほしい
・青い鳥はひとりひとりの凡庸な個性である
・希美には希美のオーボエ=青い鳥を見つけてほしい
以上、3点である。

 

なぜ上述の主張に私が至ったのか。
どのような立場から私が語っているのか、どのように希美というキャラクターをとらえているか、どのように作中作「リズと青い鳥」(以下、「青い鳥」)をとらえているか、どのように映画『リズと青い鳥』(以下、『リズ』)をとらえているか、の順に書く。

 

○私の立場

 

・『響け!ユーフォニアム』(以下、『ユーフォ』)は2期とも1回通して観ており、細かいストーリーは忘れたがどんなキャラクターかの大枠は説明できる
・『リズ』は劇場で2回観ている

なので、『ユーフォ』でみぞれその他のキャラクターがどのような行動をとり、どのような心情だったかについては正直怪しい。
『リズ』についても、そう外してはいないとは思うが細かい点には粗があるだろう。パンフは買ったが、表紙の絵をただ眺める日々だ。

 

○希美について

私はのぞみぞアンチである。
正確にいうと、「のぞみぞは結婚すべき」等、いわゆる百合的消費の枠にのぞみぞを収める行為のアンチである。
なぜなら、のぞみぞとはねじれの位置にある2線で、たまたま北宇治高校及び同校吹奏楽部という同一平面に切り取られているに過ぎないからだ。
……使えもしない数学的比喩を雑に用いてしまった。要するに、このふたりは「同じ部活の親友」以上でも以下でもなく、他に共有できるものは何もないと思うのだ。

 

希美とみぞれ。ふたりの間の決定的差異は主に3つある。それは、
・音楽的才能
・社交性
・コミュニケーション能力
である。
音楽的才能は言わずもがなである。みぞれはオーボエでもっと広い世界に羽ばたける。希美はフルートではどこにも行けない。
社交性も言わずもがなだろう。みぞれにとって親友とは希美の同義語だ。希美にとって親友とはたくさんいるものなのだろう。

 

コミュニケーション能力。ここが個人的な肝である。一見したところ、明るい希美のほうが得意で、なかなか真意を口にできないみぞれはそうではないように思える。
ただ、表情と心情の対応という観点からみると、話は別なのではないか。みぞれはよく泣きそうになりながら声を震わせる。そうして発せられる言葉は、彼女の真意だ。

 

希美はどうだろうか。音大への気持ち、「青い鳥」の解釈、みぞれへの気持ち、それを口にするとき、彼女は曖昧に呆けた顔しかしていない。

希美は空気だ。その場を淀ませず、からからとコミュニケーションを回す。そのためのプロトコルには長けている。
だが、彼女は人の本当の気持ちについては、ラノベ主人公めいて鈍感なように思える。他者の気持ちにも、自分自身のそれにも。
優子も夏紀も、みぞれにとって希美が特別であることには気づいている。気づいていないのは希美だけだ。

 

みぞれはわかりやすい、いわゆるコミュ障だ。だが、じゅうぶんに希美もコミュ症なのだ。コミュニケーションを円滑にとりつくろわずにはいられない病気。

 

このふたりは、音楽的才能も、社交性も、コミュニケーション能力も、すべてがすれ違っている。ふたりのの絆は、高校のクラス、部活という束縛のもとでしか成立しない関係性のように思える。そのふたりを結婚という長期契約でつなごうのは、悪趣味なのではないか。
あくまで、「高校のあの時の思い出」で結ばれる関係であってほしい。

 

○「青い鳥」について

青い鳥はリズの名前を呼ぶ。リズは呼ばない。あんなに大切そうにしておきながら、リズは青い鳥に名前さえつけずに、別れを告げた。
青い鳥は、リズにとって名前をつけるほどの価値もない他者なのか。
それにしても、名前もないというのはあまりにも不便だ。リズでも青い鳥でもない他者が現れたとき、青い鳥はどう呼ばれるのだろう。

 

おとぎ話を野暮に解釈しているだけなのかもしれないが、以上の状況を説明する筋書きを思い付いた。

 

青い鳥は呼ばれることがない。青い鳥が喋っていると認識しているのはリズだけである。あの話はすべて孤独な少女が妄想した一人語りである。青い鳥というキャラクターを創造したリズが望めば青い鳥は泣きながら飛んで行くしかない。

 

「青い鳥」からこのようにメルヘンをむしり取ると、何が残るのか。単純な、青い鳥症候群との別れしかないのだろうか。構図としてはそうだろうが、私はあえてまだ何かがあると考えてみたい。

 

それは、取り替え可能な個性を特別な青い鳥として認めて羽ばたかせる勇気だ。
リズはなぜ青い鳥を逃がしたか。青い鳥の群れが飛ぶのをみたからだ。
なぜそれで逃がしたのだろうか。青い鳥は飛ぶべきだと思ったからか。
なぜ青い鳥は飛ぶべきだと思ったのか。そのほうがよいと思ったからか。
なぜそのほうがよいと思ったのか。人間の姿で愛らしく跳ねる一人だけの青い鳥より、青い羽根をまとって空を駆ける無数の青い鳥のほうが、リズにとって好ましかったのではないか。

 

人は、そう特別にはなれない。ひとりひとり凡庸な個性を持っている。それでも、個性を閉じ込めておくよりは、ほかの誰かと見間違うようなものでも、飛ばしておくほうがよい。リズはそう思ったのではないか。

 

○『リズ』について

『リズ』は傘木希美の物語だ。もちろん主人公は鎧塚みぞれだ。だが、みぞれの行動原理はつねに希美にあり、希美の謎によって物語が駆動されていた。
希美は、人と向き合えないコミュ症である。みぞれの感情にも、自分の感情にも、自分の個性にも気づけていない。
みぞれは、わかりやすくヤンデレめいて恐ろしい。だが、希美は平気で自分や他人の心を踏みにじることができるように思う。

 

「音大をめざす」なんて、あんな簡単に言えない。「先生に声かけてもらったの、みぞれだけなんだよね」なて、あんな簡単に言えない。「みぞれのオーボエが好き」なんて、あんな簡単に言えない。

 

みぞれにとっての青い鳥は、希美ではなくオーボエ(の才能)だ。彼女は、それを羽ばたかせることで育っていけると思う。

 

だが、希美は、どうなのだろうか。どんなささいなことでもいい。彼女が向き合える青い鳥を、みつけてほしい。