今日の一曲:熊本県民謡 - おてもやん
・「日本」との断絶
・語り/合いの手の力
昨日は深夜の謎テンションでよくわからないことになったけれども、要するに近代フランスの流れなどでたどり着いた伊福部昭の思想の影響を受け、日本的なものとはなにかを考えるようになったというわけだった。
ということでいろいろ聞いてみた。雅楽、能、狂言、長唄、三曲などなど。ただやってみてわかった(そして今ふりかえってみて認められる)のは、自分はそろそろそういう伝統的な要素との断絶がはっきりしはじめた年代なのだなあということ。童歌なども「ゆうびんやさん」「あんたがたどこさ」「どれにしようかな」や数え歌くらいしかない(裏を返せばその程度にはあるが)。そして民謡は行事で習うものだった。
そんななか、ある日父とのドライブで民謡のCDをかけてみた。すると、彼はほぼすべての曲を知っていた。これほどわかりやすい彼我の差もなかった。聞くと父の母、父方の祖母が好きでレコードをよくかけていたという。そこにもまた断絶がある。じっさいに歌われた場所でではないレコード文化を通した新民謡運動を好んだ祖母と、それに接しつつも子にはそれを伝えなかった父。
そんなことがあったからか、種々の伝統音楽のなかでとくに民謡に対する思い入れができた。そしてべつに熊本にゆかりはないが、「おてもやん」はいちばんさいしょに耳から心に入ってきた曲だった。ここに語り/合いの手の重要性をみたのだった。