目次

 

・今日の一曲

今日の一曲:BEGIN - 涙そうそう - 小川メモ
今日の一曲:ave;new feat.あべにゅうぷろじぇくと - ラブリー☆えんじぇる!! - 小川メモ

・一週間のまとめ

一週間のまとめ:2017年2月1日から6日まで - 小川メモ
一週間のまとめ:2017年2月8日から13日まで - 小川メモ
一週間のまとめ:2017年2月15日から20日まで - 小川メモ

・月ごとの話

月ごとの話:2017年1月 - 小川メモ

・その他

 

 

俳句は一文の「あっ」、短歌は二文の「ああ」

短歌か俳句か問わず、日々15個ほどのペースで読んでいっている。そろそろ、いったんそれぞれにどう向き合うか整理しておきたい。

 

○俳句

俳句で詠めることは驚くほど少ない。だからこそ、季語というあるあるネタの力を頼んでいるところがあるように思われる。俳句の情報量は一文の描写だ。

 

○短歌

短歌で詠めることは思ったより多い。だからこそ、いかに独自の発想で世界を構築していけるかが勝負なように思われる。短歌の情報量は二文の感情だ。

 

『リズと青い鳥』私見:のぞみぞは結婚すべきでないし青い鳥は妄想である

リズと青い鳥私見:のぞみぞは結婚すべきでないし青い鳥は妄想である

 

ネタバレ注意。というのも馬鹿らしいぐらいに公開から経ったはずなので、思いをまとめる。

 

私の主張は、
・希美とみぞれは大学以後疎遠になってほしい
・青い鳥はひとりひとりの凡庸な個性である
・希美には希美のオーボエ=青い鳥を見つけてほしい
以上、3点である。

 

なぜ上述の主張に私が至ったのか。
どのような立場から私が語っているのか、どのように希美というキャラクターをとらえているか、どのように作中作「リズと青い鳥」(以下、「青い鳥」)をとらえているか、どのように映画『リズと青い鳥』(以下、『リズ』)をとらえているか、の順に書く。

 

○私の立場

 

・『響け!ユーフォニアム』(以下、『ユーフォ』)は2期とも1回通して観ており、細かいストーリーは忘れたがどんなキャラクターかの大枠は説明できる
・『リズ』は劇場で2回観ている

なので、『ユーフォ』でみぞれその他のキャラクターがどのような行動をとり、どのような心情だったかについては正直怪しい。
『リズ』についても、そう外してはいないとは思うが細かい点には粗があるだろう。パンフは買ったが、表紙の絵をただ眺める日々だ。

 

○希美について

私はのぞみぞアンチである。
正確にいうと、「のぞみぞは結婚すべき」等、いわゆる百合的消費の枠にのぞみぞを収める行為のアンチである。
なぜなら、のぞみぞとはねじれの位置にある2線で、たまたま北宇治高校及び同校吹奏楽部という同一平面に切り取られているに過ぎないからだ。
……使えもしない数学的比喩を雑に用いてしまった。要するに、このふたりは「同じ部活の親友」以上でも以下でもなく、他に共有できるものは何もないと思うのだ。

 

希美とみぞれ。ふたりの間の決定的差異は主に3つある。それは、
・音楽的才能
・社交性
・コミュニケーション能力
である。
音楽的才能は言わずもがなである。みぞれはオーボエでもっと広い世界に羽ばたける。希美はフルートではどこにも行けない。
社交性も言わずもがなだろう。みぞれにとって親友とは希美の同義語だ。希美にとって親友とはたくさんいるものなのだろう。

 

コミュニケーション能力。ここが個人的な肝である。一見したところ、明るい希美のほうが得意で、なかなか真意を口にできないみぞれはそうではないように思える。
ただ、表情と心情の対応という観点からみると、話は別なのではないか。みぞれはよく泣きそうになりながら声を震わせる。そうして発せられる言葉は、彼女の真意だ。

 

希美はどうだろうか。音大への気持ち、「青い鳥」の解釈、みぞれへの気持ち、それを口にするとき、彼女は曖昧に呆けた顔しかしていない。

希美は空気だ。その場を淀ませず、からからとコミュニケーションを回す。そのためのプロトコルには長けている。
だが、彼女は人の本当の気持ちについては、ラノベ主人公めいて鈍感なように思える。他者の気持ちにも、自分自身のそれにも。
優子も夏紀も、みぞれにとって希美が特別であることには気づいている。気づいていないのは希美だけだ。

 

みぞれはわかりやすい、いわゆるコミュ障だ。だが、じゅうぶんに希美もコミュ症なのだ。コミュニケーションを円滑にとりつくろわずにはいられない病気。

 

このふたりは、音楽的才能も、社交性も、コミュニケーション能力も、すべてがすれ違っている。ふたりのの絆は、高校のクラス、部活という束縛のもとでしか成立しない関係性のように思える。そのふたりを結婚という長期契約でつなごうのは、悪趣味なのではないか。
あくまで、「高校のあの時の思い出」で結ばれる関係であってほしい。

 

○「青い鳥」について

青い鳥はリズの名前を呼ぶ。リズは呼ばない。あんなに大切そうにしておきながら、リズは青い鳥に名前さえつけずに、別れを告げた。
青い鳥は、リズにとって名前をつけるほどの価値もない他者なのか。
それにしても、名前もないというのはあまりにも不便だ。リズでも青い鳥でもない他者が現れたとき、青い鳥はどう呼ばれるのだろう。

 

おとぎ話を野暮に解釈しているだけなのかもしれないが、以上の状況を説明する筋書きを思い付いた。

 

青い鳥は呼ばれることがない。青い鳥が喋っていると認識しているのはリズだけである。あの話はすべて孤独な少女が妄想した一人語りである。青い鳥というキャラクターを創造したリズが望めば青い鳥は泣きながら飛んで行くしかない。

 

「青い鳥」からこのようにメルヘンをむしり取ると、何が残るのか。単純な、青い鳥症候群との別れしかないのだろうか。構図としてはそうだろうが、私はあえてまだ何かがあると考えてみたい。

 

それは、取り替え可能な個性を特別な青い鳥として認めて羽ばたかせる勇気だ。
リズはなぜ青い鳥を逃がしたか。青い鳥の群れが飛ぶのをみたからだ。
なぜそれで逃がしたのだろうか。青い鳥は飛ぶべきだと思ったからか。
なぜ青い鳥は飛ぶべきだと思ったのか。そのほうがよいと思ったからか。
なぜそのほうがよいと思ったのか。人間の姿で愛らしく跳ねる一人だけの青い鳥より、青い羽根をまとって空を駆ける無数の青い鳥のほうが、リズにとって好ましかったのではないか。

 

人は、そう特別にはなれない。ひとりひとり凡庸な個性を持っている。それでも、個性を閉じ込めておくよりは、ほかの誰かと見間違うようなものでも、飛ばしておくほうがよい。リズはそう思ったのではないか。

 

○『リズ』について

『リズ』は傘木希美の物語だ。もちろん主人公は鎧塚みぞれだ。だが、みぞれの行動原理はつねに希美にあり、希美の謎によって物語が駆動されていた。
希美は、人と向き合えないコミュ症である。みぞれの感情にも、自分の感情にも、自分の個性にも気づけていない。
みぞれは、わかりやすくヤンデレめいて恐ろしい。だが、希美は平気で自分や他人の心を踏みにじることができるように思う。

 

「音大をめざす」なんて、あんな簡単に言えない。「先生に声かけてもらったの、みぞれだけなんだよね」なて、あんな簡単に言えない。「みぞれのオーボエが好き」なんて、あんな簡単に言えない。

 

みぞれにとっての青い鳥は、希美ではなくオーボエ(の才能)だ。彼女は、それを羽ばたかせることで育っていけると思う。

 

だが、希美は、どうなのだろうか。どんなささいなことでもいい。彼女が向き合える青い鳥を、みつけてほしい。

今日の日記(、短歌、俳句)

労働という行動様式はなかなか難しい。いま自分は何のためにこれをやっているのか、すぐ忘れてしまえる。

多少、面の皮が厚くなってきた。ウブな痛みはそう感じない。でも、無力さは感じるので、悔しいは悔しい。

まだ3か月目だからという言い訳は、ラクだ。だから、まだ3か月目だけどとあえてつっぱってみたい。それで折れるなら、本望だ。

 

響け!ユーフォニアム』を観返している。学生の頃とは、見方がかなり違う。滝先生の笑顔にいやらしさを強く感じていたのが、むしろ学生の怠惰にいやらしさを強く感じる。ところかわればなんとやら。

「若さにかまけてドブに捨てた無駄な時間」、「当たり前にできあがってる人の流れに、抵抗したい」。そんな心に響くセリフも、たやすく忘れてしまっていた。

もう学生じゃないからという言い訳は、ラクだ。だから、もう学生じゃないけどとあえてつっぱってみたい。それで折れるなら、本望だ。

 

短歌も俳句もそれなりに詠んでいる。片方を作っているときはもう片方がとほうもなく難しく思える。

死やセックスにテーマを頼りたくなる。そういうのじゃない、ふとしたつぶやきを結晶化できればもっと楽しくなりそうな気がする。

 

カップルか親子か知らぬ浴衣連れ

 

街灯に透けしポプラの緑かな

 

リクルートスーツで汗をぬぐう女子

 

まばらなるキノコのごとき群衆の胞子に触れて糸だらけなり

 

薄着なるブスの巨乳に目が眩む

 

牡蠣なるか柿なるか確かめんとす

 

梅雨時にヌザベと響くフランス語

 

有志にて笹の葉燃やすデモ企画

 

おおむかで殺して笑う女児の指

 

耳たぶを甘めに咬んで
星降る夜

 

左手の薬指だけ貸して、ねえ?
どろどろに溶かすだけなんだから

 

スラップが跳ねて
サイダー流れ込む

 

ヴェネチアの少女の手乗るフナムシ

 

つまらない人生燃やして
お祭りの目玉にしよう
打ち上げ花火

 

明日にもありふれた事故でさようならしてしまうかも
それでも、いいよ

 

心から「生きててよかった」なんて
嘘ついてやろうと今生きている

今日の日記(短歌、音楽)

…………

病院の時計の針は不規則で今何時かもわからなくなる

…………

病気をしている。舌が真っ白で、火傷になった痛さだ。頭もぼおっとして、体もなんとなくだるい。夏の日の微熱。

 

寝て、夢を見て、起きて、音楽をして。

そう過ごしていると、あと12時間もしたらのそのそと会社に行くことになる自分の身が不審に思われる。

いつまでこうしているのだろう、そんな気だるさがないというと嘘になる。

でも、こうしているその次の未来は、わからない。

 

…………

のびのびと羽をのばして歌えたらあとはなんにもいらないんだよ

…………

 

Animals As Leadersを聞いている。厳密に言うと、ひたすらThe Brain Danceを聞いている。ジェントだとかメタルだとか言われるが、ポストロックやファンクにも通じる感覚もある。面白い音楽だと思う。

 

Vulfpeckを聞いている。厳密に言うと、ひたすらDean Townを聞いている。擬古的なMVやスタイルのくせに、感覚は明らかにクラブミュージック以後だ。面白い音楽だと思う。

 

Julian Lageを聞いている。厳密に言うと、ひたすらNocturneを聞いている。オールディーズを、最小限の「ギタートリオ」でカバーしている。明らかにコードを聞かせるには人手が足りないのに、なぜか成立してしまう。ゼンめいている。面白い音楽だと思う。

 

Steve Colemanを聞いている。これは、何がいい曲かはよくわかっていない。「変拍子 ファンク」でググってヒットしたので聞いてみたが、想像と違った。でも、かっこよくジャズしている。面白い音楽だと思う。

 

気づけばインストばかりをよく聞いている。一方でポルノグラフィティマキシマム ザ ホルモンを聞いたりもしている。

そういう時期なんだ、と思うと、そういう時期って、なんだよ、と笑えてくる。

 

…………

朽ち果てた廃ビルのなか捨てられた女の子の世界になりたくて。

…………

 

底冷える窓がガタつくこの家でまた年を取る

また年を取る

 

朝方に習字でびっと線を引くような気持ちで息をしたいな

 

迷わない
心の声はいつだって「楽しい!」に正直なんだから

 

当然に海に飛び込むイグアナの描く軌跡を真似してみたい

 

さみしさを別の言葉におきかえていばってみせて悲しくなった

 

消費して消費されたい
ぐるぐると貨幣信仰する貨幣たち

 

美しくないものぜんぶ剥ぎ取った美しさ
それは「醜さ」という

 

無惨なる手料理の味隠そうと苦し紛れのウスターソース

 

ゆわゆわと舞う埃
目で追いかけて
意外な風を見つけてしまう

 

今日の短歌

コンビニで割引になったお弁当

かきこんで

寝て

かきこんで

寝て、

 

みなさんも自分がかわいくてしょうがない
よしよし
よしよし
よしよし
したい?

 

暗がりの猫の瞳をえぐりたい
永遠に輝いていてほしい

 

つまらない世の中をただ「つまらない」と評するだけのつまらない人

 

胸のなかいつもくすぶる嫉妬心
冷えることなくこのみを焦がす

 

公園で遊ぶ子供をみて思う
「二十歳越えても鬼ごっこしたい!」

 

今日の雑感

働いている。

研修中の身とはいえ、平日9時間拘束され続け、賃金をもらっている。

 

何か変わったようで、同じな気もする。ただ、同じな気がしているということが、何か変わったことの証かもしれない。

変わらないはずはないのだから。

 

少なくとも、ほかの進路に行っていた可能世界の僕からは変わってしまっているのだろうと思う。仕事へのアプローチ、重視する価値観。会社という部族社会に溶け込むなかで、幸せに自分自身を洗脳している。

 

…………

 

今日ひさびさにこのブログを見返した。

自分が作ったものは、当時の自分がまとっていた薄皮として感じられる。脱皮した抜け殻なので、異物でありながら、自分の一部だったという心持ちがする。

 

音楽に対する思いはそう変わっていない。進歩がないともいえるし、ブレていないともいえるだろう。

自己認識としては流されやすい僕が自己同一性を保つたつきとして、ものを書くというのは有効かもしれない。

 

Twitterにぶちまけ流していくのもよいが、やはりある程度固めておきたい。

これからまたこの媒体にお世話になることも多くなるのかもしれない。

 

そんなことを言いつつ、忘れてしまえるのが人間の性というものなのでしょう?